いつもより長文です
ちょっと前になりますが、本屋で少し立ち読みをした時の話です。
私は本が好きで、基本的にはその時の気分で選び、気力がある時は小説を、疲れた時には温泉宿などの雑誌を読んだりします。
子育て本だけはなぜかどんな気分の時でも手に取りたくなります。
図書館でよく借りるのですが、毎回コレもアレもと借りたい衝動に駆られるけれど、借りた本を結局読まずに返したらなんだかすごく時間を無駄遣いしたような気分になるので、借りる本は一回に5冊までと自分にルールを課しています。
自分の家にある、いつか読みたくなる可能性も出てくるかもしれないけれどとりあえず不要な本は、近くの図書館に寄付させてもらっています。
不用品は置いておけないタチです。
忘れた頃に図書館で見つけて、思い出して読みたくなって借りたりしてね(笑)
大きな書店は遠いんです。
時間とお金がある時でないとなかなか行けません。
で、ちょっと前。
その大きな書店にやっと行く事ができて、やっぱり最初に育児本コーナーに行ったんですよね、今も(?)話題の「自己肯定感」を高める子育て法を知りたくて。
そしてなんとなく手に取った本(タイトル忘れたけど)自己肯定感というワードが入っていた気はするけどその本には、
「子供が痛がっている時に、「痛いの痛いの飛んでけ〜」でごまかす親に虫唾が走る」
「子供にはまず「痛かったよね」と共感するべき」
「そもそも子供扱いするな」
的な内容が言動キツめに書かれていて、確かにそれはそうかもしれないけど、日々「飛んでけ〜」してる私には思いっきり否定されたような気分になる文章だったのです。
ネットもそうだけど、育児書って本によって180℃違う事が書いてあります。
そりゃそうですよね、人間ですからね。
わかるんですけど、「飛んでけ〜」を軽い気持ちで使っている親ばかりじゃないんですよ。
うちの娘はHSC気質です。
気質と記すのはまだ2歳だから。
でもこれ↓、いくつか私も当てはまるところはありますが(たぶん違うと思うけど)、最低限の優しさを持つ人なら1つや2つは当てはまるんじゃないですか?
「刺激を求める刺激に弱いタイプ」もその3割いるそうで、わけわからん。
娘の場合はですが、人混みやちょっと違う場所が苦手で、基本刺激には弱くて(特に音)、寝返りした時の布団の音で起きるし、地震がきたらしばらく恐怖で眠れません。
ちょっと注意するだけで「びっくりしちゃった」と大泣きです。
でもママやパパの違いにもすぐ気づくし、「痛かったねー」「うれしかったねー」と気持ちを察してくれる力も優れていると思います。
ただ…
痛みにもかなり敏感で、少しでも皮膚が赤くなっている所を見つけると「これ、痛い」と涙なのです。
痛いはずはなくても赤みが恐怖となっていて、「痛かったね」と最初に共感しなければ納得はしないし、でも痛かったと認めると痛い=怖いということになるというか…
結局のところ、娘の不安が取れてなくてなんの解決にも至ってないのにただ気分を逸らそうとするのも違うと感じて、「えんがちょ」じゃないけどあえておまじないのような手法を使ったのです。
「飛んでけ〜」と、痛みという名の不安とさよならをしたらしばらくは気持ちを切り替えられるようになりました。
結局はまた見つけ次第「痛い…飛んでけ(して)…」と来ますが、娘の中から不安な時間が少しでも減らせれば理由は何だって良いのかなと思ってしまいます。
「治すべきものでもなければ、直るものでもない。」
上の表の続きを読むとHSCについてそう書かれていました。
娘にもしその特性があって繊細な子なのなら、ガサツな私が先回りして娘の気持ちを毎回察することは難しいかもしれません。
ならどうするか?
正直わからないです。
共感するのは簡単だけど。
この世の中でストレスの少ない道を、見つける術があるのなら教えてあげたいものです。