華-Hana-躁鬱回顧Diary

生涯自分探しの旅Blog

支援責任障害、未来は絶望

母の入院日(火曜)。

 

私は外せない研修があったので代わりに弟が一緒に行き、私は今日電話で先生から病状の説明を受けました。背中から腎臓に針を刺して穴を開けたり皮膚の一部を切り取ったりといった、麻酔を使った少々大がかりな検査が続いているみたいです。

 

母は糸球体腎炎という指定難病の疑いで入院しました。退院する土曜日までには検査結果が出ないのでそれまでまだ疑いの段階なのだそうです。ただ尿蛋白や尿潜血の数値が悪いので、腎臓病であることは確実なのだそうです。

 

 

肝心な糸球体腎炎の説明は、難しくてよくわかりませんでした。一応元気だし、今すぐにどうこうといった話ではないようですが、数値は20倍くらい高いので結果次第だけどたぶん再入院かな〜というかんじ。

退院後に母を迎えるのは確定しそうです。

 

 

 

そしてちょっとしたハプニングがありました。

今日は14時に面会の予定でした。あらかじめ水曜に電話で予約してから行ったものの、病棟には面会予約の記載がないのでできません、と。

 

はあ?と思って、いやいや、そちらから時間も指定で、仕事を早退して来たんですけど。と話しても、「病棟につないで予約を取りましたか?今日は予約がもういっぱいで、でも20分お待ちいただければ検査に向かうエレベーター前で手を振るぐらいはできます」。

つーかここ、ナースステーション前で話してるけど、隣に母、普通にいるし!

 

 

私は笑顔穏やかに話しつつもハラワタが煮えくりかえっていて(もう面会したかったとかそういう次元でもない)、予約電話の受付に行き確認して状況をつかみ、また病棟まで(5階)行き看護師と話しました。

こっちは本当は15時まで外せなかった仕事を、キャンセルして来てるんやっ!

 

 

 

 

私は間違ってない。

 

 

 

 

 

仕事と言えば母の入院初日のこと。

冒頭に書いた「外せない研修」とやらを私は2日間受けていて、無事サービス管理責任者の資格を取りました。

 

この資格は、試験じゃないので取れるんです。だけど取ったらやらないと、更新ができません。

 

 

私は期待とプレッシャーにとても弱い生き物なので、中核的な役割なんてとてもなれたもんじゃない。だからなかったことにしようと静かに過ごしていたら、ついにやってくれと言われてしまいました。

これは喜劇ではなく悲劇です。本当に。

だって私思うけど、気質体質的に、無理なんだもん。自分のことさえ客観的に見られないのに。

 

 

だけど神奈川の自助会で、躁鬱だけど同業者がいたんです。はたらくなんとかと言う会にもいます。だから、病気だからできないっていうのは、違うんだと思います。

 

 

そうです。

 

 

私は……

 

 

 

 

 

 

 

   やりたくない。

 

 

 

 

以前どこかの本の誕生日占いで、「48歳頃から人生を楽しめる」みたいなことが書いてありました。

わりと占いは信憑性を見極めながらも信じるタイプなのですが、その時は48歳かよ!遅っ!って思っていた記憶があります。

 

 

だけど10代より20代、20代より30代と楽しく(というか楽に)なっていって、じゃあ何が変わったのというと、こうあるべきだという考え方から解放されたんです。

 

なんとなくいつもベースがないと綱渡りをしているみたいで不安だったし、キャパシティも視野も狭かったから、解決しない悩みを作ってはくだらないことでいつもいつも悩んでいました。そこから自分で道を開く方法をわかって少しずつ解放されていくのなら、48歳になる頃には超ハッピーというのもあながち嘘ではないかもしれません。

うん、とっても素敵なお話✨

 

11年後の幸せを目指して、がんばってみようかな☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ああ…ダメだやりたくない。