退院した日

4日に退院をして、心配していた調子は翌日も変わりませんでした。
むしろ少し良くなったのか、突然、ふらつきながらも夫の筋トレマシンにジャンプしました。声をかけたら久しぶりに『ニャ』となき声を聴くこともできました。
「抗がん剤をやってよかったね」
そう話していました。
6日月曜日。
ご飯や水をとらなくなりました。
顔を起こすのがよりしんどそうに、でも時々少しずつ歩いては横になるを繰り返していました。
点滴に行きました。

顔を上げることも抵抗することもなく、されるがままに針を刺され、点滴を入れても2.3時間後には排尿して、水分が全部出ていきました。
口から薬はもう無理だろうとのことで、注射でステロイド剤を入れました。
7日、8日も同様に。
徐々に顔を起こすこともなくなっていくもなかをみていました。
8日 夜19:00
夕方点滴後、なんだか今日は静かに過ごさせてあげたいと思いました。
娘を黙らせることは基本的に無理なので、久しぶりに2階へ連れて行き、いつも一緒に寝ていた寝室で2人でいました。
2階で最初は布団のまわりをぐるぐると転びながら歩き、さわるとお腹を見せては片足を挙げ手に乗せ、しんどそうにしながらも甘えてきました。

やがて私の膝に手を置いて横になりました。
もなかはいつも、私が姿勢悪く壁に寄りかかると決まってすぐに胸まで乗ってきては、首に手を回し赤ちゃんのように甘える猫でした。
もしかして、また「これ」がしたいのかもしれない…?
そう思い身体を持ち上げ胸のところで抱いていると、しばらくそのまま歩こうとはせず落ち着いて過ごしました。
2時間くらい経った頃突然腕から飛び出し、端の方におぼつかないまま歩いて行きました。
端の方に着くと突然身体を大きく仰け反り、『グワァァー』と低音でうなって顔を天上に向けて、この上ないほど苦痛を歪ませた顔をしました。
目も瞳孔が開き始めていました。
ゆっくりとした呼吸になっていきました。
7月9日 1:00
直前まで私の枕に寝ていたもなかが、急にまた歩こうとしました。
もう足が動かず、歩けず、布団からなんとか少し出たところで動けなくなり横になっていました。
急性白血病になり体温調節ができなくなってからは床で寝ることを好んでいたので、もう私も、無理に布団に戻すことはせず、いつまで持つかわからないもなかの呼吸を、ずっと眺めていました。
1:55
次の日仕事に行く可能性を考えて眠剤を飲んでいたので30分ほど寝てしまい、ハッと目を覚ましもなかを見ると、もう呼吸をしていませんでした。
家族に声をかけて回って、全員でまた泣きました。
火葬は最短10日になったので翌日は仕事に行き、一人一人に報告し、今度は皆が泣いていました。
『あの時トラもね…』
『うちの犬も…』
『子猫の時は…』
皆が皆、それぞれ自分のペットへの思いや後悔が残っていて、重なって思い出すのでしょうね。
普段聞き役に徹している人まで泣きながら、その時の思いを語っていました。
猫って理屈だとか科学では計り知れない、ファンタジーなところがありますよね。
もなかが死んですぐ、さくちゃんが私の涙をなめてくれました。さびは普段絶対に座らない、もなかお気に入りの椅子に座ってニャーニャーないていました。
火葬の直前も…



さくちゃんが近寄り、さびが慰めるような素振りをした後もなかに近付き、しばらくじっと見ていました。
わかっているんだろうなと、理屈でも科学でもないところで感じました。
火葬を終えてもなかは再び家に帰ってきましたが、家にいないことに慣れない不思議な感じと、短期間だけど毎日気が休まらなかったことに対しての、その不安はないはずなのにそわそわしてしまうようなそんなさみしさが混じった気持ちで、2日間を過ごしています。
生きてるもなかが私の制止を振り切り自ら火葬場に入っていく夢まで見ました。
思っていたより、堪えています。
白血病の検査をしておけば。
肥満をもっと疑っていれば。
もっと家で過ごしていれば。
もっとかまってあげられなかったこと
一生ものの後悔です
過ぎたことはもうどうしようもないのに。
さくちゃんとさびと金太郎を、もっと大切にしたいと思います。









