華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

発病するまで➀19歳

ちょっと、自分のこれまでの事をお話しさせて下さい。長くなりますが、しばらくお付き合いお願いします。

 

 

 

私が初めて心療内科を受診したのは、19歳の時でした。

その頃何に苦しんでいたのか記憶が定かではありませんが、いつも友人関係で悩みがあったのでその延長だと思います。

 

 

友人と、仲良くできます。

でもとても気を遣います。

そのストレスを、うまく発散できません。

 

 

 

 

 

例えば小学校時代仲良くなった友達と、中学高校と同じでずっと一緒でした。

 

(ちょっとマイナーですが、「ハートを打ちのめせ」という漫画知っていますか?ジョージ朝倉の。あれ、面白いから一度読んで下さい。

その漫画のショーコとアキラみたいな)

 

 

 

 

 

親友が一人。

 

ずーっと隣にいました。

 

 

「何でも遠慮なく言い合えるのが深い仲」

そう思っている友達に合わせ、口の悪さを合わせ、気がつけば全て友達の言う通りにしていました。

 

 

家出して友達の家から学校に通い、

私のバイトでもらったお金は全て友達に。

財布と携帯も共用というか、借して使っていました。

 

 

 

 

 

歪んだいった友人関係。

今となっては考えられない。

かなり気持ち悪い付き合い方ですね。

 

 

以降の友達とは普通の付き合いですけど、この子とだけは距離を詰めすぎた。

師弟関係のようになって、なんでも許しすぎた。

 

 

それがおかしい関係と気づかせてくれたのは別の友人でした。

結局その親友とは、高校2年の頃仲違い。

私から一方的に絶縁しました。

 

 

その経緯から、私は人付き合いが元々上手くないのです。

 

 

 

 

 

 

 

そして魔の19歳の出来事。

 

 

冒頭に書いた、心療内科にはその時一度きりで、そこから7年通っていませんでした。

 

 

 

 

 

19歳。

駆け出しのモデルだった彼と付き合いました。

すっごい大好きになりました。

 

 

順風満帆に3ヶ月目を迎えた時。

 

 

 

 

 

彼氏に浮気をされました。

 

それも、自ら暴露されました(てか、言うなよ自分から!!)

 

 

 

 

 

 

そこで、気がおかしくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

早く忘れたい!眠りたい!!

別れたいのに嫌いになれない。

そんな思いから、

 

 

その心療内科でもらった1ヶ月分の薬をオーバードーズし、酒を飲み、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンションの4階から、飛び降りてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皮肉にも、外にいた彼のおかげで助けられましたが、下半身を強打。

 

 

 

 

 

 

 

骨盤数カ所骨折、大量出血、大腿骨粉砕骨折

30%の確率で生存。

集中治療室にしばらく入院し、

輸血、

手術2回しました。

 

 

奇跡的にも後遺症はなく

‥‥と言いたいところですが、出産が帝王切開になり、子どもの代にまで迷惑をかけてしまいました。

足は支障なく歩けます。骨が内側にくっついたのでX脚になったぐらい。

 

 

 

とにかく、私が今生きているのは奇跡なのです。

だから、生きていたから今の旦那と出会い、子どもにも会えたのです。

 

お母さん、お父さん、その時のまわりにいた方々、ごめんなさい。今なら言えます。生きたくても生きられない人もいるのに、自ら命を終わらそうとして。

歳を取るほど反省しかありません。

 

だから私は、償いの意味も込めて今の仕事をしているのです。

手が届く人達のために、多くの時間を使いたい。綺麗事かもしれませんが、今はそう思っています。

 

 

 

そういえば、本来ならこの入院の時、病院も精神科を受けさせるなりするかと思うのですが、私の場合は看護師さんに怒られただけでおわりました。

 

その頃は命の尊さにも気づかぬまま、ひねくれた考えのまま、退院したのでした。

 

 

 

 

 

 

➁に続く。