華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

思うままに発言は出来ない

18時。

いつも通りに仕事を終えて、娘の幼稚園のお迎えに来ました。

 

 

お迎えに行くのは久しぶりです。

というのも普段夫の勤務状況に合わせて動くので、送りが夫なら迎えは私、逆に送りが私なら迎えは夫という感じ。

最近はずっと送り担当に徹してました。

 

 

ちょっと久しぶりの間に、夕方の園門には施錠がついてて、番号を入力しないと開かないシステムになっていました。戸惑っていたらお迎えのタイミングが重なった知らないママさんがやり方を教えてくれたんだけど、やさしくて朗らかそうなママさんがさりげなく「これもお便りに書いてありましたけど」だか「さっきも一度言いましたけど」と言ったんです。

 

 

ボーッとした気持ちで聞いていたので、え?!って一瞬、身が引き締まる思いになりました。小さい声だったから聞き取れなかったけど、、

な、なんか怒ってる。。目が睨んでるし〜〜。こわっ。

油断していたというか、構えていなかったタイミングでズバッときたので、しばしボーゼンとしました。

 

 

そんな、なぜかお怒りママさんとそのまま同じ方向を歩き、1クラスに集められた子供達のいる教室の前に立って、娘と先生が出て来るのを待つのですが……娘の口が、ケチャップまみれ。鼻も鼻水まみれ。しかも乾いてクソクソになっておる。

 

 

一緒に出てきた先生に嫌味を噛ませるつもりで、「今日はケチャップ食べたのね〜」と娘の方を見ながら言ってみると、「はいっ!いっぱい食べたよねー☆」とニコニコな返事がかえってきました。

やはり何も言えず、だけどその後娘の鼻を綺麗にするのが大変だったので(超固まっていたからお風呂でふやかしても痛がった)、しばらくは文句の電話でもかけてやろうか等迷っていました。

 

 

だけどこんな時の自分の感覚が、正常なのか病的なものなのかがわからなくて。

迷った時はいったん寝かせようと思いやめました。(こうして私の決断力がどんどん鈍くなっていく…)

 

 

で、お風呂に入ったら気分転換になったのか言ってやろうという気が失せちゃって。笑

それはそれで、自分にショックだったわけです。多分あの時の私の怒りは間違えてはいなかったはずなのに、どうして私はこうも気分で動いてしまうのだろう、と。

 

 

ちょっと話は逸れるけど、仕事でも思うことがあります。

私は気分によって判断が変わってしまうので、極力事実に基づいて行動しようとは心掛けているのですが、そうなる元となった同僚がいます。

彼は私よりはるかに本能的に生きていて、見ていると反面教師になる人です。

 

自分のことを繊細だとか敏感だと判断しているみたいだけれど、それによって、「空気を読みすぎて困っている」という捉え方と、まわりからの「空気読めないクン」の温度差。気分によって常識の無い行動をすること、困りごとに執着して、いつまでも周りの意見を聞き入れようとしないこと。

それらは20代の頃の私にもあてはまるものがありました。

 

 

彼の成長が止まっていても、今の私の成長の元にはなっています。彼が私に成長するきっかけをくれたところから始まっているようにも思います。

だからこそ付き合いのある中で意見を言うことは難しいことと思ってしまうのです。

 

 

今回は初対面のママさんだったけれど、娘同士がとても仲が良いみたいなので、これからも付き合いがあるかもしれません。先生もそうです。

そうなると感情だけでは話せなくなる、そしてさらに時間が経って、自分の感情すら、あやふやになっていく。。

 

 

そもそも仕事以外での物事の判断材料って、自分の中の常識と、気分も多少は含まれると思うのですが…。

 

人と関わる上で大変な部分。私にとっては、そんな小さなところから、、、なのです。