華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

ここしばらくの2人のこと

ママ自身もママになって4歳か……(しみじみ喜)

 

夫の会社がコロナのクラスターで、夫とは数日間別居をしておりました。前回ブログが久しぶりなのはそのせい。

 

一人暮らしの私の母(実家)と夫が入れ替わり始まった、オンナ3人メス3匹🐈の共同生活。

母はというと、リビングに布団を敷いて、歯ブラシもタオルも食器も、全てが所定の場所にすらなくて、ずいぶんと散らかし放題でマイペースな暮らしぶり(そういえばこの人は片付けが苦手だった…)

 

私も、はじめこそは小言を言いながらも全部片付け、料理だっておかずを3品、毎日掃除機をかけて洗濯機を回し、子供の幼稚園の準備に勤しみ、母を労い食後のお茶まで出してあげていました。「ホテルみたいね」と母は言いました。

 

 

 

数日後………

 

 

 

 

「ね〜、ご飯まだぁ?」と言うのは私の方で、母はキッチンに立ち、トイレ掃除をして、洗濯物を干していました。いつだったか義兄家に突然行って中に招かれた時の衝撃映像のように、置く場所にこだわらなくなったらこうなるのかという汚部屋と化した我が家。物の置き場にこだわる余裕すらないけれど、あれがないこれがないと探し回る母にはイライラするからチクチク小言を言ってしまって、「まるで刑務所だわ」と母が言っていました。

 

 

だけど本当は昼間、ねこしかいないタイミングで夫が家にこっそり来ていて、乾いた洗濯物を畳み、ねこ達と遊び、ストーブの灯油を入れて、食材を補充してくれていたんです。なのに私達親子は「母(娘)が、やってくれたんだぁ〜☆」となんともお花畑な思考で気付きもせず、「やっといたよ」と後出しした夫に対し「別居してる意味がないだろ!」と怒る始末。でも実家で仮の一人暮らしをしている夫の洗濯は、母が行っていたのでした(訳わからん)。

 

 

実は私は昨年夫に離婚したいと何度か訴え、「恨み言」なる手紙まで書きました。内容はいつも同じ事で、まず1番に新生児育児の時毎夜隣で大いびきをかいて寝ていたこと、それから決断力のなさ、結婚してから通帳をさわらないという謎のこだわりをやめてほしいこと、仕事が不規則勤務では困る等多々。

 

これまで友人知人に何をされても恨むことなどしなかった私が、何もしない夫には「許せない……」とコンコンと恨んでいました。

でもそれらは絶対に解決しないので、また数年後同じように騒ぎ、同じようになだめられて、同じように許すのだと思います。とにかく私にはそういうサイクルがあり、夫もよくわかっています。

 

 

私は気分の調節こそできないけれど損得勘定の計算はとても良くできるので、離婚をした後の新しい出会いや再婚、その後の生活まで一旦、想像してみます。すると不思議と、なかなか想像がつかない。いや、私が誰かと恋愛することはたやすく想像がつくんですけど、そこに娘を巻き込んで…?あ、なんかそこら辺で、もうアウトかも。考えたくない。そもそも娘のパパは夫だけだし、となる。

 

 

母さえいればなんとかなると思ってたけど、もちろん来てくれたことは何よりも感謝なのだけど、母は私のストレスの元となる「物を元に戻す」ことができないし、私は料理を作れても継続ができない。夫は自立していて家事もやるのだから、もうそれだけでデメリットってないんですよね。

 

 

そんなかんじで戻ってきてからちゃんと謝って、久しぶりにとことん話しました。分かち合いだなんて変な言葉だけど、もうその一言に尽きます。

 

前回話し合った時も「躁状態になると性的逸脱なんて症状もあるから、いつかは不倫しちゃうかもよ」なんて言う私に、「それも結局続かないだろうから、戻ってきてくれればいいよ」なんて大きく出た夫。夫のお皿は大きなどんぶりのようになって、対する醤油皿のような小さな器の私だけれど、いつの間にか切っても切れない絆ができていたんですね。

 

 

そんなわけでここ2週間の出来事が決め手となり夫のありがたみを痛感した私。

 

ちなみにパパがいない約2週間の間……

娘は一回も、「パパ…ぐすん」とはなりませんでした(笑)普通に、というかどちらかと言うと楽しそうだったぐらい。

だけど帰ってきた瞬間、目をうるうるさせて

「パパにあいたかったー(涙涙涙)ちゅー♡」

 

 

うまいもんよ。

パパは次の日公園に連れて行かされ、ジュースを買わされ、おやつを買わされておりましたとさ。

 

 

夫の夢は子供3人なのだそうです。

私にとってそれはファンタジーでありクレイジーでもあるのに、シングルでも育て上げられそうな夫の余裕が、眩しい。

まさかこんなに、子煩悩な親になるとは。