華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

おじいちゃんおばあちゃん

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」より

 

 

私の母方のおじいちゃん、おばあちゃんは農家の生まれで、米や畑作業・冬は養蚕をやっていました。

足袋を履いて、手拭いを頭に巻いて。

田舎のおばあちゃんのモデルのような見た目の、日本人のモデルのような暮らしぶりの祖父祖母です。

 

 

 

夜は酒を飲み、内弁慶な性格の祖父が当時私は嫌いでした。祖父が酒を飲んでいる間も祖母は家事をしているので、祖母に全てをやらせて何もしない人だと思っていたのです。

 

祖父は私が物心つく頃には、たくさんの薬を飲んでいました。小さな頃は、薬=身体が丈夫ではないという考えもなかったので、状態もわかっていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

祖父を嫌いなまま高校に入学した頃、母と父が離婚しました。

私達は母の実家に戻る事になり、祖父祖母と同居する事になりました。

 

 

 

 

田舎の古い家です。

冬は寒いし夏は暑い。エアコンもなく、黒電話、窓は鉛筆みたいな鍵を回して開け閉めするタイプ(今時の人は知らないでしょう)。

そして食事を少しでもこぼしたり残したりすると猛烈に怒る祖父。

 

 

 

遊びたい盛りの頃の私には、とても苦痛な毎日でした。

 

 

 

 

 

 

でも同居して、祖父の生活が少しずつ見えてきたのです。

朝は5時には起きて農作業をしていた事。

無駄遣いは一切せず節約の毎日で、私達孫のためにお金を貯めてくれていた事。

質素でつつましく暮らしてきた事。

厳格であったろう祖父が、いつも笑っていた事。

 

 

 

 

 

 

 

同居して4ヶ月。

亡くなる前の日、たまたまテレビでやっていた歌番組の、共に知っていた曲を一緒に口ずさみ笑いました。反抗期だった私がめずらしく祖父と笑い合った日でした。

 

 

そして次の日、脳出血で突然祖父が亡くなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、私は祖父の思いを受け継いで、畑作業のある仕事をしています。

畑作業は現在は祖母の土地となった場所を借りて、たまに85になった祖母も加わって。

 

 

 

 

 

祖母も、休む姿を滅多に見ないぐらいの働き者です。怒った事もない優しい祖母。

 

 

今は亡き祖父との思い出を語りながら、祖母に2人分の恩返しが出来ればな、と思っています。

 

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ひ孫とのツーショット。

 

 

「私のおじいちゃん、おばあちゃん」でした。