華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

おばあちゃんのお米

私の実家は古い家が建ち並ぶ田舎町にあります。

城下町でその昔は栄えていたらしいのですが、今はその名残も薄くとても廃れています。

 

 

一応、まわりの家も自分の家にも家紋がどこかに刻まれてあったり、屋号で近所を呼び合う習慣がいまだに根強いので歴史はあった場所なんだろうな、とは思います。

 

 

 

ちなみにうちの屋号は「緑屋」。

大昔前は旅館を営んでいたらしく、その時の名前でいまだに呼ばれているみたいです。

もっと言うと、となりは「さわらや」、またとなりは「くすりや」。近所付き合いが希薄になってしまったご時世で、こうして呼び合うのは母の代くらいまででしょうか。

 

 

私の実家は祖母が亡くなれば取り壊します。

子供時代祖母の作った梅干しをよく盗み食いしたあの蔵も、いよいよあと数年でお別れです。

 

 

 

 

 

今年から、祖母が高齢の為米作りをやめました。

 

 

 

結局、どれくらいの広さの土地で米を作っていたのかはわかりませんでしたが、少なくとも家族全員が米を買わずに食べられる分は最後まで作ってくれていました。

我が家自慢のお米、コシヒカリです。

 

 

 

私や弟は、子供時代から毎年稲刈りに駆り出されてきました。

機械で入れないせまい場所は手作業でやらなくてはならず、また範囲も広いのでなかなかの重労働でした。

就職してからも休みに稲刈りを手伝うというのが苦痛で仕方なかった思い出があります。

 

 

 

祖母も一人で農業をしていた訳ではありません。

私の祖父は69歳で亡くなりました。亡くなった祖父の代わりに祖母の弟が毎日手伝いに来るようになり、早いもので18年目です。

おじさんも今年で79歳。もう潮時でした。

 

 

 

そんな訳で、おじさんと祖母が話し合い米作りをやめることにしたそうです。

 

 

 

 

これまで当たり前に自家製の米を食べてきた私にとって、米は買う物ではなく貰う物でした。

 

当たり前においしいお米を食べてきた裏には祖母や大叔父の弛まぬ努力がありました。

今年いっぱいは保存があるそうですが、いよいよ自家製米ともお別れ。

寂しいけれど、これも時代ですね。

 

 

今まで米作りお疲れ様、と祖母に電話で伝えました。

 

 

 

残りの自家製米、噛み締めていただきます。