祖母の葬儀がひと段落し、翌日から仕事に戻っています。
連日のほどんどを知らない大人達に囲まれていて、それは当たり前かもしれないけれどどっと疲れました。
相手のほとんどは私の事を知っているので「ほら、大崎のところの久子よ」とか「さはらやの向かいの〜」とか教えてくれるのですが、さーーーっぱりわからん(笑)
なんせ我が家の祖父母はどちらも8人も兄弟がいるし、その子どもの何番目の兄弟の嫁とかまで来ていましたから。
田舎は近所もすごいです。
私からすれば「え、どなた?」って方々が、朝7時からエプロンをつけてうちの台所に立っていたり…
ここの地域は亡くなった家の両隣が30軒に悲報を知らせ、日程表を配って回るのだそうです。
昔からの習わし、教え、決まり事。
そういうのが嫌で田舎を離れた時期もあったけど。
でもやっぱり最後は、綺麗事じゃなく人とのつながりは大切だと思いました。
告別式から火葬、納骨まで
喪主でもないのに忙しすぎて、
悲しみより「無事やりきったな」
といった感じ。
思えば出棺する時のクラクションの音とか、棺にお花を入れる瞬間とか、火葬場に入る直前の最期の顔も、涙する場面はたくさんあったのでしょうが。
骨となり出てきた祖母を見てもいまいちピンとこなくて、
お葬式がおわって、そのまま仕事で忙しくて、やっと休みの今日、ふと畑に来ない祖母がもう「病院」にいない事に気付きました。
「生きていることは本当に奇跡で、あの時手を振ったことが最後になるかもしれない」みたいなフレーズ、よくあるじゃないですか。
それは本当でした。
でもね、やっと会えてすぐに亡くなったこと、皆から「ばーちゃん待っててくれたんだよ」と言われるけど、
「それなら会いに行かなければまだ生きていてくれたのかな」
と考えてしまう自分もいるのです。
祖母は戒名に「温」「愛」「善」という文字が入りました。
祖母の人柄を表すのに1番近い文字でした。
今頃じーちゃんと会えたかな。
ありがとう
そしてさようなら