飼い猫「金太郎」と共に畑に向かう後ろ姿。
足袋を履いてカマを持って布を頭巾にし、腰が曲がりながら歩いてたのはほんの数日前。
ここ最近、尿路感染による発熱が続いていたので、イヤな予感がしていました。
祖母86歳、二度の脳梗塞の既往です。
そして今度は咳が出始めたと思ったらみるみるひどくなったそうで、ついに今日40℃越えの熱が出て母が救急で病院に連れて行きました。
コロナは陰性だったけど、広い範囲で肺炎。
1ヶ月の入院となりました。
もう、これだけ免疫力も下がっているのだし、デイサービスに通っているとはいえたまに家で1人で過ごす日もあった訳で(母はフルタイム勤務)、色々と限界だったでしょう。
でも。
1ヶ月という長い期間は、確実に祖母の認知や身体レベルを下げてしまうのです。
当然、寝たきりになったっておかしくない。
寝たきりになっても「命だけはあって良かった」って、そう思えればそれで良いのかもしれない。
それほど予後は悪いのに、なぜか私は助かる事が当たり前な気がしてしまうし、また笑って話せるぐらい回復すると信じている。
要は、まだ受け止められません。
それでも現実は、「退院してから行く所をこれから一緒に考えていきましょう」って、病院から言われてしまったんですけどね。
あとは延命処置をするかどうかもね。
この時代なので面会は一切禁止。
でももう会いたいのです。
後悔だらけで押し潰されそうです。
「私がばーちゃんの介護するね」って、その為だけに介護福祉士取ったのに、出産したとたん母に任せてしまってごめん。
この間かけた電話、なんですぐ母に代わってって言っちゃったんだろう。とか
「コロナ禍だから」って会わなかったのを後悔していたりします。
でも、現に私の職場ではクラスターが発生している状況なので、面会が可能だったとしても私は会えない。
何を優先すべき世の中なんでしょうね。
あっちのお宅にこっちのお宅にとまわる事が忙しくなった私は、皮肉にも充実感でいっぱいです。
でも誰かの役に立つ事に喜びを感じるのなら、まずは身近な人が幸せでないとね。
ばーちゃん。
どうか命だけは助かって。