華-Hana-の躁鬱↑↓物語

またまたリニューアル!母だし労働者だし飼育者……なんだけど、生涯自分探しの旅Blog

変わらぬ日々を

暫くブログを書く気になれませんでしたけど。

 

被災者を想い忘れないながらも私達は変わらぬ日常を過ごさなければならないというところで心が腑に落ちました。

 

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切り取るの面倒なのでこのままで

 

地震の後には戦争が来る」

 

 

この言葉を知り忌野清志郎の曲を初めて聴きました。といってもまだ3曲だけど、太陽の下で聴きたくなるような歌をうたう人だったんですね〜。うっ!とかモヤモヤっとかがない感じ。MISIAみたいにスーッと心に入り込むような感じ(私の中では)

 

例えば宇多田ヒカルは天才すぎてたまに歌詞が訳わからんのです。椎名林檎の昔の歌なんてぶっ飛んでるし、あいみょんは感性豊かすぎてメンヘラっぽい(共感)。個人的にはひねくれ者変わり者の歌が好きなのですが…

 

 

 

 

話が逸れましたけど、本当に心が痛みます。

だって、人やペットが亡くなる背景には例え老衰であってもこうしたらもっと長生きできたかも〜とか色々考えるのに、自然災害だから仕方がない、とは到底、思えないじゃないですか。

どうすれば命を落とさずに済んだのか?原因理由予防等施策、当然これから考えて追求されていくと思います。

 

 

そして…

普段から、戦争の犠牲者とか不慮の事故や仲間内の不幸に対して同じくらいの気持ちで悲しむタイプだと思っています。が、あまり口には出さないかと。それがどうしてこうして言葉にするほど命についてここまで考えているのかと言うと、4日の叔父の命日が重なったからなんです。

 

 

前にもブログで書いたと思うのですが、叔父の死因は自死です。それをはぐらかされて育って、わりと近年突然何の前触れもなく会話の中で聞かされました。

 

先日地震が発生した元旦。その3日後の、何十年か前にもこうして人は亡くなっていて、それも私にとっては同じくらい悲しくて大事な命でした。

 

 

叔父の死を悲しんでもかえってきてはくれません。わかってはいるのですが、そういう理由で遺された方は何年経っても原因を考えてしまう訳ですよ。その一つが例え「時代」にあったとしても。

 

 

よく母は言います。

例えば実家にいる時、「私この間精神科受診したらさ〜」とかを音量考えずに言おうものなら、

「隣に聞こえちゃうでしょ!」 

 

それだろ〜!!それ! 

日本人の悪いところですよね。

これに時代という差別が加わって、あと色々加わって亡くなっているはず。

だけど今更母に何を言ってもダメなんですよ。「だって近所に変な家だと思われる…」から抜け出せない。田舎ってまだこんな感じですよね。

 

というような事をむしろもっと考えていたいのだけど忙しすぎて目の前の事を優先しちゃう。

とりあえず墓参りだわ。

 

 

 

祖母は認知症が進んでも東日本大震災で私の車がいかに揺れたかだけはずっと鮮明に覚えていました。その時一緒に家から逃げ出した、金太郎(猫)と共に叔父や祖母達が眠るお墓に行きました。

 

 

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実家から少し距離がある山に、こうしてよく来るんです。祖母の生前は祖母にずっとくっついて歩いていたから道も慣れていて、先陣を切って進んでくれます。

金太郎(略してキーちゃんと呼ぶ)も今年で15才の高齢猫ですがまだまだ現役です。

 

 

こうして悲しい出来事も、一度ドーンとショックを受けて悲しんだ後、良くも悪くもその気持ちが上書きされて前に進んでしまうのが私です。その場しのぎの深い感情なんかいらないから想いを維持していたいのに、忘れてしまうから躁と鬱を繰り返している。

 

 

時代は変わります。

こっちの街では2年後から中学校の運動部がなくなるみたいだし、遠い未来にはハワイが日本の隣に来るなんて噂も。

今が最大限な気がするけれど、災害対策も医療も福祉もいつかは常識が覆されるような方向に発展するかもしれません。

 

 

次の時代はIDGsですか?

もう訳わからんよ〜。とりあえず私は明日も仕事よ〜