子供ができてから、生活にストッパーをかけています。
「楽しい」と生きるよりも、「しっかりと」生きる感じ。
朝からバリバリ動き回ると夜の育児まで体力が持たないし、途中で「あ、なんか調子がいいな。疲れないな」となってしまうと大概次の日は身体がだるい。次の日をいい波で過ごす為のストッパーでもあり、従来楽しさばかりを求めてあっちへふらふらこっちへふらふらしていた私を正す為のストッパーです。
病気になってから、これまでに何冊もの本を読みました。この病気が躁と鬱を繰り返すことや、それがどんな症状で、どうやって治療をして、こんな薬があって…と、皆書いてあるのは大抵同じことでした。
先生に聞いても、毎日服薬して、ぐっすり寝て、頑張りすぎないこと。7年間実践してきましたが相変わらず波は激しいし、今回大鬱になって生活が破綻しかけても同じことを言い続けるのには疑問しかありませんでした。
もちろん感謝はしていますが。
YouTubeを見ると体験談は多く載っていますが曖昧な情報が多く、しまいには服薬をやめて良くなった、なんて言っていた人もいます。波が緩やかになった人の情報は見る限り全くありません。
鬱になったら休むしかないのは分かります。鬱にならない為に、躁の時の過ごし方が重要なのもわかります(必ずしも躁の後にのみ鬱が来る訳ではありませんが)。
ですが私は「なんだか調子が良いな」と思った時が幸せです。皆そうじゃないですか?
調子が良くても楽しさを我慢しなければならず、そこで広がる自分の可能性をも消してしまわねばならない。まるで幸せになってはいけないと言われているみたいです。
(だからといって躁状態に身を任せることはできないんですけどね。)
ここ数ヶ月間ずっと、どうすればいいかわからなくなってしまいました。
寛解状態の時よりも明らかに躁鬱病について詳しくなって、気をつけて生活しているはずですが、波は今の方が大きいんですよね。治りたいのは無理だとしても、せめて楽しく生きたいし、ではどうすればいいのか本当に分かりません。
そして昨日、2週間ぶりに図書館へ行きました。子供の絵本を借りによく行くんですよね。
そこで返却されたばかりの本が並ぶ棚にあった「躁鬱大学」という本。
作者にピンときて読んでいくと躁鬱病当事者の方なんですね。
まだ序盤ですが、読み進めていくと躁鬱病ならではの生きづらさや体質が書かれていました。全部丸ごと共感できたのは驚きましたし、この本になら何か生きづらさを解決するヒントみたいなのが得られるかもしれません。藁をもすがる思いで読み進めようと思います。
ちなみにどんなところに共感したか。
「一貫性のなさ、気分の浮き沈みの激しさ、思いつきで行動し、すぐ飽きること」
「昨日言ってたことと今日思っていることが全く違うなんてことも多々あるので、一貫性があるのが普通の人間だと思われているこの世界ではやっていくのがしんどい」
「何かが足りない。躁状態の時に感じた万能感が体に染み付いているので、もっと楽しくやりたい」
そしてこの本で紹介している神田橋條治氏という精神科医の「神田橋語録」も読んでいますが、躁鬱病を独特な観点から見ているし当事者はどうすれば良いのか等色々と書いてあり、「え、それはいいの?!」という感じ。
あまり「病気」「障害」としないんですね。この本もその影響が強いですね。
この本を読んで、納得できる考えに至って、最終的には気分の波を緩やかにできればいいです。
色々と期待して読みたいところです。