年明け早々、ちまたではよろしくないアクシデントが重なっていて、なんと知人まで亡くなってしまった。
悲しい…というよりも何だろう、、当たり前に見ていた顔をこれから見なくなって、思い出も顔もぼんやりとしか思い出せなくなって、忘れていく。
たぶんそれしか無い。
いなくなってしまったのだからどうにもならない。
彼がどんな人だっただろうかと考えると、しょっちゅう会っていたわりには中身のある会話などほとんどしていなくて、まわりからの情報で知っていた気になっていたと思う。
実際パッと思い出した会話なんて、
彼「そろそろ2人で食事にでも行くか」
私「はぁ?何言ってんの、キッモ!」
この会話で悲しいも何もない。
だけどもっと悲しんでいるはずの近しい人は私よりもひょうひょうとしていて、かえってその方が切ないし見ていてしんどい。
悲しみは後からやってくる。
今は胸のつかえた感じと胃がもたれたような重さがなんとも気持ち悪い。
人が亡くなるとはなんなのか。
私は誰かが亡くなる度に生命の不思議に辿り着き、自分なりに納得するまで時間がかかる。
例えば祖母との思い出は、思い出そうものなら脳みそが記憶をシャットダウンする時があるから、いまだに考えられない領域がある。ペットはただただ愛でしかないからいなくなった瞬間から悲しい。
それらの「不幸」そのものと「死とは」を別次元で考えればいいのに、結び付けるから遠い異国の出来事にまで涙が出てしまう。
ちなみにこれで募金をしだしたら躁状態の完成である。
輪廻転生とか色々希望を持つ人がいるかもしれないけど、死んだ人とはもう会えない事だけは事実。
そうなんだけど、もう話せなくてもいいんだけど、まだ視界の中にいるのが当たり前でいてほしかった。
「明日また会える」だなんて
そんなの一番尊い事だったのに、また油断してしまったな。